テーマ / これからの産地のビジョン
日 時 / 2021年8月23日(月)10:30〜15:30
ゲスト / 後藤 哲憲さん
      − 旭川市役所/調査当時は旭川工芸センター
      五十嵐 哲也さん
      − 山梨県産業技術センター 富士技術支援センター 繊維技術部
      秋本 梨恵さん
      − 山梨県産業技術センター 富士技術支援センター 繊維技術部
      田上 知之介さん
      − 愛知県立芸術大学美術学部陶磁専攻 准教授
      鷲見 恵史さん
      − シイング・岐阜県美濃市
      日野 利さん
      − 高岡市デザイン・工芸センター
      我戸 正幸さん
      − 我戸幹男商店・石川県加賀市山中温泉
主 催 / 産地とデザイン会議
      萩原 修 影山 和則 中野 照子 古庄 良匡 吉川 友紀子 大沼 勇樹
参加者 / 31名
資 料 /  産地とデザイン会議2020 報告書
 
*参加費無料のオンライン開催で行った。
 

 
萩原 それでは『産地とデザイン会議 2021』を始めます。今日は次のような予定で進めていきます。
 
10:30〜 12:00 調査研究『デザイン導入がものづくり産地に与える影響に関する調査研究』
       から見えてきたこと
12:00〜 14:00 休憩
14:00〜 15:30  「産地再構築」討議
 
まず、産地とデザイン会議の活動について、お話しします。
活動は、 2012年に出版した『ものが生まれる産地 ものを輝かせるデザイン』(企画/萩原 修、著者/影山和則、編集/中野照子、発行/ラトルズ)から始まりました。当時、影山は埼玉県産業技術総合センターの職員で、本には 198090年代に産地のものづくりに奔走した様子が描かれています。私たちはこの本の出版記念として、『変わる「産地とデザイン会議」』を立ち上げ、産地やデザイン、流通などの方々と話し合う場をつくってきました。くわしくは www.sanchi-design.jp参照してください。
2018年からは、文部科学省の科研費を活用して、ものづくりの現場をたずね、その現状やこれからの問題点などを探る調査研究を行い、 3年経って、ようやくまとまりました。この会議では、その報告から始めます。
 
私たちは、 1960年から 30年ごとを大きな区切りとして捉えています。 1960年から 1989年は、高度経済成長期からバブルに向かった時代でした。 1990年から 2019年は、バブルが崩壊し、「失われた 30年」と言われました。続く 2020年からは、コロナ禍によって大きな変換点を迎えています。
これからの 30年に産地やものづくりは、一体どのようになっていくのでしょうか、また、産地の事業者やデザイナーは、これからどのようにしていけばいいのでしょうか。歴史と現状を踏まえながら、皆さんと一緒に考えたいと思っています。
 
まずは、調査研究の報告です。
私たちは全国に数多くある産地のなかから、業種の異なる 6産地を任意で選びました。ここでは、各産地の調査を担当したメンバーから報告してもらいますが、最初にこの 6産地が、日本のなかで、どのような位置づけにあるのかを、影山から解説いたします。
 

 
影山 今回、調査した 6産地について、それぞれの業種のなかでどのような歴史を持ち、現在どのくらいの規模感を持っているのかを、報告書の第二章、基礎調査( P512)にまとめました。
 
日本の産地の形成時期としては、多くは江戸時代あるいはそれ以前から続いている産地です。加えて旭川家具のように、明治時代以降に始まり、第二次世界戦後の高度経済成長期に形成された産地もあります。それを示したのがp6のグラフ2になります。日本のものづくり産地の業種別割合表が、 p6のグラフ 1になります。
 

 
  
 
p7からは、それぞれの業種のなかで、調査した産地がどのくらいの規模感を持っているのか、売上高で比較したものです。ここでの数字は経済産業省の工業統計調査から取ったものなので、統計に表れない小規模企業(業者)まで詳細に集計している組合などの数値とは多少異なるかもしれませんが、大体の規模感や売上高の推移はおわかりいただけると思います。
 
家具・木製品製造の分野では、旭川は 3位となっています。
 

 
繊維ですが、これは伝統産業に限っていないため、富士吉田の売上高は少なく、このグラフには出てきません。
 

 
金属・非鉄金属の分野は全体的に規模が大きく、高岡が 2位、富山が 3位となっています。
 

 
陶磁器では、瀬戸は 3位です。
 

 
漆器では山中漆器が 1位となっています。 
 

 
和紙の分類では、パルプ、用紙、機械漉き和紙も含まれるので比較はむずかしいのですが、美濃は 4位となっています。
 

 
 
p9からは、調査産地ごとに売上高、企業数、従業員数の推移を比較しました。ここも工業統計によるものですので、規模の大きな企業に集まると数値が上がります。また、従業員 5名以上の企業の集計なので、グラフ曲線はおおまかな産地の傾向を示すものであることをお断りしておきます。



 
おおかたは高度経済成長期に右肩上がりに伸びて、 1990年頃のバブル崩壊後に急激に落ち込み、その後、持ち直すパターンです。美濃や富士吉田は、バブル崩壊後も大きな影響は受けずに、横ばい状態です。瀬戸は、労働集約型の産業改革が行われたと思われます。 2019年以降のコロナ禍の影響は、まだ反映されていません。
6産地の、くわしい歴史や産業の推移については、現地調査のところでくわしくまとめましたので、ご確認ください。
 

 
萩原 一般的に産地でデザインが活発化してくるのは、 1960年以降、「商品」の形が明確になってきてからです。当然、流通や販売の形も変化していきます。
2000年以降、デザインは社会的な課題となり、ソーシャルな認識が強くなり、まちづくりに関わるなど、「考え方」の問題にもなってきました。
 
6産地の現地調査を終え、こうしたデザインのもたらす要素を分析してまとめたのが、報告書の p45からの第三章となります。「産地における 3つの目的と 9つのデザイン」としてまとめました。
見えてきたのは、ものづくりはイノベーションであり、デザインは、流通まで見通さないと成り立たないということ。人と人との関係の構築、産地以外の地域との関係性を図るために、コミュニケーションとデザインも欠かせなくなっています。
デザイナーも、かつては外部から著名な先生に来ていただいていたのが、今では産地内部で育て、一緒にやっていくところが増えてきています。
まずは、 2018年〜 2019年に現地調査を行ったメンバーからの報告をいたします。
 

 
● 旭川/木工

萩原 まず、木工産地である旭川の調査報告です。
旭川は、産地の成立やその後の経緯からいっても、技術とデザインの融合が図られている産地です。
 
1990年に始まった『国際家具デザインコンペティション旭川』は、3年に1度に開催する家具のコンペ・展覧会ですが、世界中の家具デザイナーの登竜門として知られるようになりました。旭川の技術を世界中に広めていこうと、現在でも続けられています。
 
今は撤退しましたが、旭川には東海大学があり、産地と強い連携がありました。さらに、旭川にはたくさんのデザイナーが入ってきた歴史があり、2009年から始まった『旭川木工コミュニティキャンプ』では、産地メーカーとデザイナーや流通、木工関係者が気軽に話のできる環境をつくっています。デザインを軸にして、ブランディングやマーケティングに活かす企業も増えています。
 
その一方で、旭川は北海道第二の都市で、37万人の人口があるというのに、多くの市民には、旭川が家具・木工の産地であるという認識があまりありません。取材した多くの方から、その点を改善していきたい、という声がありました。
 
2019年からは、『ユネスコ創造都市ネットワーク』のデザイン部門に加盟認定しています。
  
 
● 富士吉田/繊維


影山 繊維産地である富士吉田の調査報告をします。
ここは、産地から発信するサイトがいくつもあり、地域ブランドのつくり上げ方がうまくいっている産地です。産地企業やいろいろな立場の人を巻き込みながら、上手に情報を拡散して、その存在を伝えています。
 
ものづくりでいえば、東京造形大学との産学連携がうまくいき、産地企業にも学生にもプラスになるやり方で、新しい商品も生まれています。
東京からの近さを活用して、バスツアーも数多く行われ、ファッションやテキスタイルのプロからエンドユーザーまでを産地に招き、つながりをつくっています。
地域おこし協力隊などとの連携もよく、暮らしのなかでの場づくりなどにも積極的です。
 
地域で活動する人々をつなぐ仕組みづくりは、山梨県産業技術センター 富士技術支援センターが中心になって行っていて、「あそこに行けば、何かヒントがある、発展できる」と思わせ、それがうまく循環しているのです。中規模生産の産地だからできるやり方かもしれませんが、この産地に好印象を抱かせる結果になっています。
 
 
● 瀬戸/陶磁器


中野 瀬戸は、「せともの」という言葉が陶磁器の代名詞となっているように、よく知られた産地です。ひと頃の輝きはなくなってきていますが、新しい芽が出てきています。
 
行政は「せとものの産地」というより、「瀬戸」というまちをアピールしていく方針です。多治見や常滑など、まわりの産地には押され気味ですが、長年培った技術や産地としての基盤を活かした動きが見られます。
 
産地企業の動きはそれぞれで、昔ながらの伝統的なつくり方を継承していこうという窯元は、その歴史や製作工程まで公開して伝えています。
40年前にデザイナーを起用して、新しいデザインの陶磁器を開発した産地企業は、その路線を引き継ぎ発展させようとしています。
組合がなくなった型屋の後継者は、持っている技術を活かした新しいデザインを開発してオリジナル商品を販売。若手のデザイナーを起用した商品づくりも行っています。
このように、窯元や型屋の後継世代は交流を密にして、自分たちを知ってもらおう、産地に来てもらおう、という活動を始めています。
 
瀬戸には、アーティストやガラス工芸などのクラフト作家が移り住み始めています。地元出身の若者が始めたゲストハウスから、まちの新たな交流が始まるなど、陶磁器産地にこだわらない動きが生まれそうな気配が感じられました。
 
 
● 美濃/和紙


中野 伝統的な和紙産地である美濃について報告します。
古い歴史を持つ美濃和紙は、戦後、アメリカの彫刻家イサム・ノグチが美濃和紙を使ってデザインした岐阜提灯で有名になりました。
岐阜県では2003年、ものづくり産地の活性化を図ろうと「オリベデザインセンター」を設立、県内の伝統産業をデザインによってグレードアップしようというプロジェクトが始まりました。
伝統産地と国内外の著名デザイナーのコラボによる商品づくりは、展覧会を通して全国に伝えられましたが、現在では行われていません。しかし、その時に積極的に参加していた若い世代は現在では産地企業のトップにあり、当時のような熱気はないものの、それぞれがそれぞれの方法で、「これからの美濃和紙」を模索し、新たな和紙に挑戦しています。
 
美濃の手漉き和紙のなかでも「本美濃紙」は、2014年にユネスコ無形文化遺産に登録されました。しかし、日常生活のなかで、障子紙を使うような需要がなくなっている現在、手漉き和紙を今後どう残していくか、という大きな課題があります。
今回、産地企業や問屋、行政や商工会議所などでお話を聞き、大きく売上げを伸ばすことも大切だけれども、着実に産業・産地継承していくことも大切で、価値あることだと気づき、伝統産地ならではの問題について考えさせられました。
 
 
● 高岡/金属


古庄 かつては銅器、現在ではさまざまな金属を使ってものづくりする産地、高岡について報告します。
 
高岡は、変化していく時代状況に適応しながら、ものづくりをしている産地だといえます。1999年、富山県では総合デザインセンターを開設しました。現在では、県の総合デザインセンターと、高岡市のデザイン・工芸センターが同じ敷地に隣り合って建っています。そのため、県と市の連携がみごとで、日本にいるフリーランスのプロダクトデザイナーで、ここに来たことのない人はいないのではないかと思われるほどです。
 
かつて藩の庇護のもと、職人の税が優遇されていた歴史を持つ高岡では、現在でも市独自の補助金制度が用意されるなど行政のバックアップ体制はしっかりしています。当然、産地の人々は自分たちの価値を認識しており、全国でも屈指のインナーブランディングの成功例といえます。
 
それは、グラフィックデザイナーをあえて「高岡伝統産業青年会」のメンバーに迎えたことにも表れており、「柄は悪いが、腕はたつ」という産地のキャッチフレーズの作成と発信は、互いの信頼関係のなかで生まれたものといえます。
 
こうして、産地内デザイナーが親和性を持っているおかげで、産地企業はデザインに触れる機会も多く、価値の創造が行われています。
これらの仕組みをつくったのは、組合の青年部である伝統産業青年会で、実利に反映できる環境をつくっています。
 
高岡の産地企業は、自社の技術を独り占めせずに、他社に教えることも厭いません。他企業の発展に手を貸すことで、産地としての発展を図っているのです。
 
学ぶ場も数多くあります。富山大学芸術文化学部の学生に呼びかけて、産地との勉強会を行い、さらには提案までする「クリエイ党」という活動が行われています。高岡市デザイン・工芸センターでは、産地でつくるものや伝統技術を学べ、実験などもできるようになっています。
 
この産地は、人を中心にして、デザインと関わっているという印象を受けました。
 
 
● 山中温泉/漆器


古庄 漆器産地の山中温泉の報告をします。
山中漆器は、木地ロクロ技術に優れた産地で、その技術は、超絶技巧に達するまで高められています。これまでは消費地問屋が流通の中心で販売していましたが、現在では、産地組合が一丸となってブランディングに取組む活動が活発になっています。
例えば我戸幹男商店は、産地問屋ですが、世の中の動きを的確に判断し、どのように自社を売っていこうか、というプロデユ―ス力を発揮しています。デザイン面では、外ザイナーを起用して成功した「NUSSHA」の例があります。
 
そもそも、この産地では、昔から木地やさまざまな資材は組合の共同管理になっており、それによって製造の安定とスピード化を図り、技術の伝承にも力を入れています。こうした地道な積み重ねが基盤になっています。
 
新しい動きとしては、自然と文化とものづくりを体感する『around』というイベントや、漆の技術を活かしたジュエリーを展開する漆工芸大下香仙工房の例があります。
 
外部デザイナーをたくさん招いて商品化することが長く続きましたが、これからは、自分たちのなかから生まれるものを探っていこうという動きも出てきています。
 


 
萩原 現地調査は 2018年から 2019年にかけて行い、 2020年のまとめに向けて分析に入ろうという時に、コロナ禍が始まりました。調査時から、産地の変化が著しいと感じており、この現状のなかで分析に入ってもいいのかという思いが強くなりました。
 
そこで、新たな現地調査はむずかしいが、「今、気になる産地の人」にリモートで話を聞くことにしました。それが 20201019日の追加調査です。
 
お話を聞いたのは、下記の 3人で、皆さん、産地企業というより、デザイナーに近い立場で、シビックプライドを持ち、地域に根ざした活動をされています。うかがったお話は報告書(p40-44)をご覧ください。
 
 迫 一成さん( hickry03travelers代表/新潟市)
 白水高広さん(うなぎの寝床代表/福岡県八女市)
 新山直広さん( TSUGI代表/福井県鯖江市)
 
迫さんは、新潟市の古い商店街に事務所を構え、まちづくりからものづくり、流通まで幅広い活動をしています。
もんぺの商品化で有名な白水さんは、自社を「地域文化商社」と名乗り、広い意味でのデザインを行っています。全国のものづくり地域や人との連携にも積極的です。
新山さんは、それまで縁のなかった鯖江市に移り住み、市の臨時職員からスタートしました。この土地に住みながら、リアルとオンラインを駆使して、「インタウンデザイナー」として活動しています。
いずれの方も、チームとして取り組んでいました。その地域で暮らし、新しい動きをつくっていくことで、関係性に変えていっているようです。
 
こうした 3人の活動からは、これから先の産地やものづくりが一体どのようになっていくのか? 産地の事業者やデザイナーはどのようにしていけばいいのか? という問いに対する回答が示されているように思いました。
 
右肩上がりに成長した 1960年〜 89年までの 30年が過ぎ、その後の 30年はどうだったのか? そしてこれからの 30年の産地とデザインはどうなっていくのか?
産地ではさらに分業化が進むと思われます。互いに連携していかなければ、産地として成り立たなくなることでしょう。
ものづくりのまちとして、産地をどう継承していくのか? どのようなビジョンを描いていくのか? いろいろな問題が見えてきました。
 
午後からは、調査した 6産地のゲストの方々から、お話をうかがっていきます。
 

 
萩原 ここからは、今回の調査でご協力いただいた方々に、今、現在の状況と問題点などをお話しいただきます。今度は、山中漆器の我戸正幸さんからお願いいたします。
 
● 山中温泉 我戸 正幸さん

山中漆器の産地について、もう少し付け加えます。
先程、資材を組合で共同購入する話が出ましたが、それ以外にも分業体制が進んでいて、具体的には、企画や販売を行う商部である1部と、製造工程ごとの工部が2部から9部<2部(木地)、3部(塗装)、4部(下地)、5部(蒔絵)、6部(成型)、7部(製函)、8部(上塗)、9部(拭漆)>に分かれています。1部が販路の確保と商品の企画などを行い、29部に十分な仕事を出すことによって産地を形成しているのです。
 
こうした商習慣を続けてきましたが、現在は「境目」にあると感じています。自社をエンドユーザーに発信したりネット販売できる企業は好調ですが、皆がそういうわけにはいきません。全体で見ると、事業者は減り生産力が落ちています。
 
昔は問屋を通して販路を広げることができましたが、今は既存の商習慣にとらわれずにネットや展示会で販路を広げる事業者が増えました。特にコロナ禍後は加速しています。しかし、60代以上の事業者の企業は、若い人のようにうまく発信できないので、販売力が落ちて廃業に追い込まれたりしています。
 
デザインについていえば、自社の強みの具現化や世界観を表すために活用しています。それは無駄のない経営につながると思っています。
 
私たちの産地は、ブランディング上手とはいえません。そこで、これまでのように産地から売りに出ていくだけでなく、外から来てもらえる産地にしたいと思っています。
 
まずは観光資源と地場産業の現場を広く見学・体感してもらい、地域全体の価値や魅力を知ってもらために、『around』という産業観光イベントを開催しました。
実は昔から、観光業界と漆器業界はあまり仲がよくなくて、今回初めて両方の業界がジョイントすることで、いろいろな世代が関わって取組めるようになりました。成長させなければ、と思っています。
  
 
● 富士吉田/五十嵐 哲也さん


産地全体がうまくまとまっているとおっしゃっていただきましたが、まずは富士吉田という産地について説明します。
下の図は、山梨県の繊維産業を工程ごとにまとめたものです。つくっているものの生産数量は、時代によって変化していることがわかります。織物工場では生地・布をつくっていて、最終的なプロダクトはほとんどありませんでした。  
 

 
私ども山梨県産業技術センター 富士技術支援センター 繊維技術部では、「素材を生み出す場の魅力、その存在をまわりに知ってもらおう」ということから始めました。
 
組合も一緒になって動き、市行政も次第に織物産業にお金をつけてくれるようになってきました。 10数年前、若手後継者の一人から「学生と密なコラボレーションをしたい」という提案がありました。結果的に産地に若者が入ってくることで、産地の雰囲気を変えるきっかけになりました。
大学との産学連携コラボが始まると、いろいろな人が出入りするようになりました。そして産地企業(機屋さん)では、ブランドづくりや自分たちでも売っていこうという気持ちが生まれてきました。さらに、まわりの人たちを巻き込んで、あれこれ工夫をし始めたのです。
 
富士吉田市は、2016年から「ハタオリマチフェスティバル」を始めました。行政に加えて企業の努力もあって、産業振興に拍車がかかり、応援する人も増えてきて、それぞれの場が広がり、いろいろなやり方や方法が出てきたのです。
 
コラボに関わった若者のなかには、布をつくる仕事や技術に興味を持つ人が出てきて、それにまつわる情報を発信する活動も生まれました。
また、消費者としてだけでなく、 Iターン就職などで産地に入ってくる人も増えてきて、全体として生態系のようなシステムに育っていったというわけです。
 
小さいけれども自発的な企業には、全体を把握している人が多くいて、自分の役割を理解して、生き生きとしてやっているのが現状です。
 
 
● 美濃/鷲見 恵史さん

和紙産地である美濃の現状についてお話しします。
美濃和紙は、古い歴史をもち、高い技術力で知られていますが、産地企業の事業規模としては小さいのです。美濃はかつては障子紙の産地として名を馳せましたが、最近では、コンデンサや掃除機などに使われる「機能紙」の産地として知られています。
 
明治以前、和紙は暮らしのなかでさまざまに使われていましたが、今は障子や襖のある家は少なくなり、嗜好品になってしまいました。
 
コロナ禍はほんとうにキツイです。
美濃の隣の関市は、刃物の産地ですが、コロナ禍でも元気でした。この先、和紙産地である美濃をどう再構築していくか、が大きな問題になっています。
 
 
● 瀬戸/田上 知之介さん


陶磁器産地の瀬戸についてお話しします。
私は、愛知県瀬戸市に隣接する長久手市にある愛知県立芸術大学で陶磁器デザインを教えています。近年、学生の就職先として多いのは、多治見、土岐、瑞浪など岐阜県の産地で、窯業の分野では瀬戸よりも少し元気な印象があります。
 
大学では、陶磁素材を用いたデザインや表現について、自らの手による実制作を主体に思考しながら、技術面を伸ばしていくことを指導の中心にしています。一方で、瀬戸を始めとする全国の産地で求められているのは、「もの」そのものデザインだけではなく、そのデザインがなぜ必要なのか、なぜその生産技術を用いているのかなど、「もの」のデザインが生産者や地域に及ぼす影響を「どう伝えるか、どう見せるか」のデザイン力のように感じています。これからは、全体をディレクションできる能力がますます必要になってくると思います。
 
私たちは産地にある教育機関として、「もの」そのもののデザインやものづくりのための技を磨くばかりでなく、「もの」のまわりに潜んでいるさまざまな物事まで視野を広げ、産地について考えていくカリキュラムを工夫する必要があります。また、大学と産地のよい距離感をつくりながら、大学が産地に対して協力できることを実践していくことも大切だと思っています。
 
瀬戸は、10数年前とは変わってきています。依然として産業としての規模は縮小していますが、地元を離れて都会で修学した2040代の若い世代が産地に戻ってきて、結果を出し始めています。そうした流れに連動するように、行政も協力的になってきていると感じます。行政内にも理解者が増えてきているんです。
 
また、古くから続いている窯元や型屋の跡取り世代(3040代)のがんばりも目立ちます。例えば、やきもの現場である窯元や工場、原料を採掘する鉱山を公開するなど、有志によるオープンファクトリーを定期的に開催しています。この企画を学生に案内したところ、予想を超える多くの学生がボランティアを希望して驚きました。残念ながら、コロナ禍で企画は中止になってしまいましたが、若い世代の「現場を体感したい」「つくり手と交流したい」という思いの強さを感じました。こうした動きをきっかけに、閉鎖的だった産地との新たなつながりが生まれ始めています。
 
さらに、陶磁器に限らず、画家や映像作家、写真家、建築家など、これまでとは違った表現に取組む人たちが入ってきて、創作活動のみならずカフェやギャラリーを運営するなどの動きもあります。
 
こうした流れに次世代が加わり、自分たちのまちや仕事をなんとかしたいと動き出したら、新しい何かが見えてくるのではないか、と思います。
 
 
● 高岡/日野 利さん


高岡の現状についてお話しします。
高岡では、1986年に『工芸都市高岡クラフトコンペ』を行いました。その時に、銅器問屋のデザイナーを経て当時の富山県デザインセンター部長に登用されていた、故・金子隆亮さんが仕掛け人となり、第一線のデザイナーを審査員として高岡に招き、地元の組合や企業とつなぐ道筋つくりました。その流れは、30年たった今日まで続いています。
その後、明治期からの歴史がある高岡市デザイン・工芸センターが1999年に新設された際も、現Gマーク審査委員長の安次富隆さんや立川裕大さんなどを招聘し、20年以上、高岡とおつきあいいただいています。
センターの「新クラフト産業」育成事業の立上げの時には、安次富さんに「産地の自活力を上げる」というコンセプトを掲げていただきました。当時はオリジナル商品を持たない企業が多かったのですが、この頃から安次富さんから学んだ参加企業を中心に、オリジナル産地ブランドの動きが始まりました。
 
高岡銅器の売上げは、ピークの1990年が374億円(アルミ、その他の非鉄金属を除く)で、2018年には103億円まで落ち込んでいます。そのおよそ半分は仏具です。しかし、産地企業である能作さんは、デザイナーの小泉誠さんによる曲がる錫鋳物の器開発をきっかけに、テーブルウエア市場にも進出しました。能作さんは、多くの外部デザイナーと、それまでになかったロイヤリティ契約を結ぶなどの工夫もしています。モメンタムファクトリーOriiさんによるインテリア内装材など、他メーカーもそれぞれ新しい分野で、デザインによる伝統産業のイノベーションを起こしています。
 
産地問屋とメーカーの関係では、仏具など代々続く伝統的な関係性が大事な分野もありますが、新しい分野では、メーカー自ら進出することも増えてきています。デザイナーの磯野梨影さんのディレクションのもと、インテリアおりんに進出した山口久乗さんのように、産地問屋でもファブレスメーカーとして、つくり手を大事にして企画・デザインできるか、が重要になっています。
 
 
● 旭川/後藤 哲憲さん


家具・木工産地の旭川の現状をお話しします。
私は、旭川市工芸センターから旭川市経済部産業振興課に異動しました。2019年、旭川市は『ユネスコ創造都市ネットワーク』にデザイン分野で加盟認定し、現在は、デザインを活かした取組みを進めています。
 
「デザイン創造都市」として評価された取組みの一つが、1990年に始まった『国際家具デザインフェア旭川』です。家具デザイナーの若手の登竜門と言われ、3年に1度開催されるデザインコンペですが、当時隆盛だった箱もの家具産地から、旭川の家具デザインが変わるきっかけになったもので、旭川家具の知名度を上げ、旭川家具のブランド構築につながりました。
 
2009年に始まった『旭川木工コミュニティキャンプ』では、「つくる人、考える人、売る人、伝える人」などものづくりに関わる人が自主的に集まって、森の力を感じ、つくる現場を巡り、フラットに語り合う。そんな場から共感が生まれ、自然体なものづくりが生まれ、一緒になってものづくりを始める企業も現れました。
 
新型コロナウイルス感染症拡大により、旭川のデザインイベント『旭川デザインウィーク』もリアルからオンラインイベントとなりました。今後、オンラインでのデザインイベントをどのように開催し、体感できるか、が現在の課題です。
 
『ユネスコデザイン創造都市』として、製造業だけでなく、デザインをどのように市民に浸透を図っていくのか、特に次世代を担う子どもたちにどう伝えるのか、教育も含め、トータルで考えていく必要があります。また、これまで家具がデザインを活用しブランド構築してきた実績やノウハウを、他の産業につないでいくことも重要だと考えています。
 
幸い、東海大学旭川キャンパス(2014年、札幌に校舎移転)出身のデザイナーやクリエイターが地域で活躍し、中小企業の経営に踏み込んでいくデザイナーも現れてきました。中小企業でもデザイン経営を意識するようになってきており、デザイン経営を伴走できる人材育成も行っています。現在、旭川大学を市立化し、2025年に地域創造デザイン学部を新設します。
 
デザインを観光に結びつけるのは、行政だけではむずかしいところもありますが、産学官金と連携した取組みを検討しているところです。
 


 
萩原 今、産地全体に再構築が求められています。それに対する補助金なども出ていますが。
 
影山 事業再構築に対して、国は 114億円の予算を組んでいます。 2004年の『ジャパンブランド』から連続的に使うなど、使い方によってはいい使い方ができると思います。
 
我戸さん(山中) 山中でも、高齢化や設備の老朽化は大きな問題です。
現在のところ、山中漆器の木地屋は全体の 35%60歳以上で、後継者がいません。山中漆器産業技術センターという研修施設があり、毎年、若いつくり手が卒業しますが、ものはつくれるようになっても経営は別で、産地で安定的に生活していけないのが現状です。
 
五十嵐さん(富士吉田) 私たちは、「補助金がないと事業がまわっていかない」というのはどうかと、と考えます。東京造形大学とのコラボ事業では、補助金を使っての実施は最初だけで、それ以降は補助金なしでやっています。
自腹でも活動が続いている背景には、主体的な行動でこそ得られる価値の共有があります。「デザインはソリューションではなく、センスメーキングである」という考え方があると言えるかもしれません。
 

 
萩原 産地やメーカーにとって、デザインはどのような影響を与えるのでしょうか? 経営にデザインをどう取り入れていますか?
 
日野さん(高岡)  1980年代、高岡では多くの大御所デザイナーを招聘していましたが、現在までつくり続けられている製品は多くはありません。その経験から「美しいものをつくることだけがデザインではない」と学んだと思います。
その後、「大治将典さん×二上」、「小泉さんや立川さん×能作」、など成功したデザイン事例を見てきたこともあり、「デザインは製品のカタチではなく、企業のブランディングも含めたトータルなもの」と気づかされました。
 
後藤さん(旭川) こちらも「大治将典さん×小野さん×高橋工芸」の事例によって、デザイナーと中小企業が相互に理解した上で、デザインを取り入れることがいかに大切か、ということがわかりました。この事例により、つくり手とデザイナーの距離が縮まり、このようなカタチを考えているが、どうすれば加工できるのか? 強度は? 生産性は?など、信頼できているからこそ本音の話がしやすくなりました。デザイナーと企業が一緒に考えてものづくりをしていくことが、いかに大切かということがわかり、地域のモデルとなりました。
 
萩原 デザイナーは、産地内外どこにいたらいいのでしょうか?
 
鷲見(美濃) それぞれの地域にいてくれるのが一番いいです。その地域の空気感が伝わりますしね。でも最近では、ネットワークを使っての方法もありそうです。
 
田上(瀬戸) デザイナーを目指す学生に「卒業後、産地と都会のどちらで仕事をしたらいいのか?」と相談されたら、私は次のように答えています。
「ものづくりだけがデザインではない。自分の得意分野を活かしつつ、異分野の人と組んでやっていく方向性もある。いろんな人がいろんな方向性で生きている。自分らしい生き方を探ってほしい。その上で、“産地と都会のどちらで仕事をしたら、自分らしくいられるか”と考えてほしい」と。
 

 
萩原 これから産地をどのようにしたいか。皆さんのビジョンをお教えください。
 
我戸さん(山中) 私も 40代後半になり、次の世代につなげる事業を考えなければいけない年齢になりました。つくり手がつくることに専念でき、安定的に生活していける。そのような施設をつくり、製造プロセスの最適化と効率化、技術の継承や技術者の育成などに力を入れていきたいと思っています。
 
五十嵐さん(富士吉田) 山口周によれば、経営には「アート」「サイエンス」「クラフト」の 3つが必要で、デザインはこれらを調整させるものだと思います。この 3つの要素があり、バランスがとれている産地は自立していける。そこを目指していきたいと思っています。
 
鷲見さん(美濃) この先、人口減少はさらに進むでしょう。これからの数年をがんばらないとたいへんだと思っています。
「古い歴史をもつ和紙をきちんと残していくこと」、加えて「手段を選ばず、楽しく残していくこと」を考えています。
 
田上さん(瀬戸) 世の中はどんどん多様化しています。瀬戸は、大手企業から小さなメーカー、個人作家まで 、いろいろな点が強く点在する産地となりつつあります。互いに手を取り合って、何かおもしろいことができるのではないかと思っています。
 
日野さん(高岡) 銅器の製造現場でも、約 35%60歳以上の高齢者になってきました。だからこそ、多様な働き方が大事になってくると思います。
製造・販売ではメーカーと産地問屋の区別がなくなり、製造においても分業体制から、副業も取り込んだ産地全体での協業をしないと、産地は維持できないと思います。この先、さまざまな働き方のための場や機会を応援するのが、私たち行政の役目になってくると思います。
 
後藤(旭川) 『ユネスコ創造都市ネットワーク』に加盟認定した旭川市は、産学官金が連携し、デザインによる持続可能なまちづくりを進め、地方創生につなげていきたいと考えています。
 

 
萩原 ここからは自由に意見をいただきたいと思います。
 
日野さん(高岡) 高岡の売上高 103億円の約半分は仏具です。ところが、材料の銅が高騰し、製品を値上げせざるを得なくなってきています。どの問屋さん、メーカーさんも、この先が怖いと言っています。
その一方で、オリジナルのデザイン商品開発をしてきた企業のなかには、コロナ禍の巣ごもり需要にうまくはまった商品もあるようです。
 
五十嵐さん(富士吉田) 富士吉田ではフォーマル系の生地が多いので、コロナ禍の影響はかなりありました。自社ブランド製品の開発をしたところでは、それほどではないところもありましたが、多くの企業で何らかの影響がありました。
 
後藤さん(旭川) 旭川も木材などの原材料費は上がってきています。旭川家具における地域材の活用は 50%で、毎年利用割合は伸びています。さらに地元木材の活用は広がっていくと思いますが、木を育てるには、年数がかかります。この木の価値をもっと認めてもらうために、製品の価値をデザインで上げていく必要があります。
 
小助川泰介さん(旭川・家具製造販売) コロナ禍で販売が止まってしまったところもありますが、ウチはいい方に出て、売上げは伸びています。
『旭川木工コミュニティキャンプ』は開催できませんでしたが、今はまず自分たちでやろうと、木を伐り乾燥させ、木工品をつくり、販売まで行う、新しいものづくりをやっていこうと思っています。
 
一方で、情報発信する人がいないので、告知がうまくできないのが悩みです。手弁当でやっているので、負担も増えています。
 
秋本梨恵さん(富士吉田・山梨県産業技術センター 富士技術支援センター) 富士吉田市では、ふるさと納税の寄附金の一部を織物産業の継承・振興事業に活用しています。産地の織物企業では、継承が危ぶまれる工程前後をどうやって集約していこうか、考えているところで、互いに様子見をしているような状況です。
 
また、廃業した事業者から使っていた設備を買い取りたいのだが、中古設備には補助金などが使えない。なんとかならないかという声も出ています。
 
影山 秩父では、捺染業者がいなくなりましたが、メーカーが自分たちで捺染するようになりました。
 
舟久保勝さん(富士吉田・繊維・繊維製品製造) ウチでは、材料や技術について、埼玉の秩父とやりとりをしています。今後、仕事を継続させていくには、産地を越えてやっていかないと残っていきません。技術を残していくには、オール・ジャパンでやっていかないとダメですね。
私は、産地を越えて、ノウハウを持っている方との交流を望んでいます。
 
影山 舟久保さんの舟久保織物では、「ほぐし織」という優れた技術をお持ちです。これで伝統産業指定が取れるといいのですが。
 
舟久保さん(富士吉田) 私でできることなら、何でもやっていきます。「ほぐし織」の技術に限らず、まだまだやるべきことはたくさんあります。生き残る可能性はあると思っています。
 

 
鷲見さん(美濃) 本業と副業、兼業について考えています。私たちは、責任をもって美濃和紙の仕事をしているのですが、この仕事だけで利益を上げることが、残念ながらむずかしくなってきています。
美濃はかつて半農半紙でやってきました。今の若い人たちは、デザインと営業で和紙を売っています。働き方も変わってきています。
ならば、本業の軸を少し移すくらいの小さな動きで、なんとかできるのではないか、と思っています。
現代では、和紙の価値が伝わりにくい、需要が減っている、紙の単価が安い、などの悩みはありますが、それでも「この仕事が好き」という気持ちは変わらないので、なんとかしたいと思っています。
 
田上さん(瀬戸) 確かに、そういう働き方はありますね。産地の形態によって違いますが、そんな自由な感じで仕事ができたらいいですね。
 
後藤さん(旭川) 旭川家具の製造は、あまり分業化せず、全て 1社で行います。家具組合を中心に横の連携がしっかりしていて、技術の共有や仕事のシエアも行っています。また、家具やクラフトなどの職人さんも、ここ数年、材料としての木材、林業とのつながりを意識しています。
 
日野さん(高岡) 金属産地の高岡の場合、設備が大きいこともあり、兼業はほとんどないですね。
しかし、高齢になり、誰かに事業継承したいという人は増えています(鋳造の場合で約 8%)。副業的でも事業継承はできると思っています。
 
影山 織物産地などでは、途絶えた技術を他産地に頼んだりしています。いろいろなやり方が考えられそうですね。
 
萩原 愛知県豊橋の前掛け産地の 6070代の職人から技術を受け継いで事業を継承、新しい帆前掛けとして復活させたエニシングのようなやり方もあります。「つくられなくなると困る」から「続けるにはどうしたらいいのか」を考えて成功した例です。
 
後藤さん(旭川) 親族に事業継承する企業は多いですね。事業継承ができない場合、「買収」ではなく、合弁など「連携」という形で事業継承する企業もあります。
 
五十嵐さん(富士吉田) 富士吉田は、家族経営が多いんです。息子が事業を継いだ時に、設備を入れて、付加価値をつけたり自社製品をつくったりして、業態が変わっていくこともあります。
 
萩原 可能性はいろいろありそうですね。
 

私たちが考えてきた30年ごとの大きな区切りの先にある、2020年からの30年は、コロナ禍によって、さらに大きな変換点を迎えることでしょう。
その時に、今回の調査研究で協力していただいた産地でものづくりをしている方、支援機関の方、産地に入ってデザインを実践している方々にうかがったものの見方、考え方、ご意見が多少でも参考になるのではないかと考えています。
産地はこれからもさまざまな時代の流れに翻弄されながら続いていくと思います。今後も歴史と現状を踏まえながら、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
 
本日はありがとうございました。