• 第2章では、基礎調査として「産地」と「デザイン」の時代背景と「6産地の産業概要」についてまとめ、その後6産地に調査に行った報告を記す。
 
 

 
    • 「産地」と「デザイン」の時代背景


    • 日本における産地のものづくりとデザインの歴史を遡ると、明治維新による近代化と西欧化の時代に至る。明治時代には、江戸時代以前から続く伝統的な手仕事による職人的なものづくりから、産業機械による動力のものづくりが始まった。国をあげて輸出を奨励して繊維や陶磁器が大量に輸出され、そこに初めてデザインが導入されたのである。その後、日本の手仕事に「用の美」を唱えた民藝運動が起こるなどしたが、手仕事の産地は徐々に衰えていった。

      第二次世界大戦後は、家電、自動車などの工業製品にデザインが導入され、企業内にデザインの専門職が生まれた。売るための手段としてデザインが導入され、商業的なデザイナーが活躍したのである。高度経済成長期を経て、1970年代頃から大量生産による弊害が出てきてからは、大量生産、大量消費、大量廃棄に疑問を持つデザイナーも現れ始めた。一方で、国の政策として地域の手仕事産地にデザイナーを派遣する事業も始まり、多くのデザイナーが地域のものづくりに関わるようになった。

      1980年代に入ると、産地とデザイナーの関係性は深まり、産地では個性的な手仕事のものが数多く生まれた。この時代、全国の産地における出荷額、企業数、従業員数は飛躍的な伸びを示し、ものづくり企業はバブル経済を享受した。
      バブル後の1990年代になると、消費は停滞し暮らしを足元から見直す流れが生まれ、デザインの本質が問われるような動きも見られた。「失われた10年」という時を経て、2004年、国は再び「ジャパンブランド」政策として、日本の手仕事に補助金の交付を実施する。

      2010年頃から、プロデューサーと呼ばれる人材が手仕事の産地に入るようになり、国の補助金政策の後押しもあり、現在、ものづくり産地には多くのデザインが導入されている。2020 年までの産地は、プロデュースの時代といってもいいだろう。

      2000年以降のデザインは、社会課題を解決するソーシャルデザインの流れと、インターネットの普及やテクノロジーの進展によるサービスデザインが推進され、ビジネスにおけるデザイン思考やデザイン経営という考え方が浸透してきた。デザインの役割が大きく変わってきたのである。

      つくれば売れる時代を経験した産地の人々が次々と引退する時代になり、その後を継いだ後継者は都会の大学などで経営やデザインの知識と感覚を身につけ、試行錯誤しながら新しい感覚でものづくりを変え始めている。同じように新しい知識と感覚を身につけたデザイナーやクリエーター、地域起こし協力隊の若者など、さまざまな人材も産地に集まりつつある。これまでにない新しいタイプの人材が、地域で活躍する時代になったのだ。

      さらに、2020年からのコロナ禍によって、ものづくり産地は苦境に立たされ、産地そのものが消滅する危機に陥っている。かつて、ものづくり産地が消滅する危機にあった時に、「用の美」を唱えた民藝運動などによって方向性が示されたように、デザイン導入によって、産地とデザインの新しい関係が生まれることが期待されている。

    •  
  •   
    • 6産地の産業概要


    • 本研究の調査対象である旭川/木工、富士吉田/繊維、瀬戸/陶磁器、美濃/和紙、高岡/金属、山中温泉/漆器の6産地について産業的な概要をまとめておく。
    •  
    • ○業種別割合と産地の形成時期
    • 平成26(2014)年度に中小企業庁が行なった全国産地状況調査では、産地と定義された全国578産地を対象にした調査が行われ、252産地(回答率44%)から回答を得た。ここにおける「産地」とは「中小企業の存立形態の調査が行われた一つで、同一の立地条件のもとで同一業種に属する製品を生産し、市場を広く全国や海外に求めて製品を販売している多数の企業集団」と定義されている。
    •  
    • グラフ1は、回答した252産地の「業種別割合表」である。本研究の対象である木工家具は全業種のなかの9.9%、繊維は衣類・その他の繊維製品に含まれるものも合わせると28.6%、機械・金属はその他に含まれる機械・金属も合わせると9.7%。窯業・土石の陶磁器は12.7%、和紙は雑貨その他に含まれるのだろうが数字には現れない程度のパーセントであると思われる。
    •  
    • グラフ2は、それぞれの業種が産地形成したと思われる年代を示したものである。陶磁器の産地は、70%近くが江戸時代に産地形成されていて長い歴史を持つ産地が多い。機械・金属も50%が江戸時代に産地形成している。これは高岡、盛岡など藩の産業振興によって形成された産地が多いためである。繊維も48%が江戸時代に産地形成された。伝統的な織物産地がこれにあたるが、その他の繊維、縫製は、明治時代の殖産興業による産地が多くなっている。木工家具の産地形成は、44%が江戸時代だが、これは伝統的な漆器の産地が多いためで、旭川のような木工家具の産地は、大正から昭和初期に産地形成されている。和紙の産地(雑貨・その他に入る)は、全て江戸時代かそれ以前に産地形成していたと考えられる。
    •  
    •  

 

    •  
    •  
    • ○産業規模
    • ここでは、令和元(2019)年の工業統計(従業員3人以下の企業は除く)などをもとにグラフを作成した。
    • グラフ3は家具・木製品製造業の売上高の比較である。日本の主な木工・家具の産地は、北海道の旭川、福岡の大川、広島の府中、飛騨高山、静岡だが、そのなかでは大川が330億円で飛び抜けて多い。次いで飛騨高山が134億円で、旭川の85億円、静岡の73億円が続いている。大川は箱物(はこもの)と呼ばれる収納家具が主流で、旭川は脚物(あしもの)である椅子、テーブルが主流である。
    •  
    •  
    •  
    • グラフ4は繊維産地の比較である。工業統計上では繊維産業には縫製業も入るので、織物産地が不明確な場合があるが、伝統産業に限らなければ、福井県福井の852億円、滋賀県長浜の480億円、京都府京都市の300億円、岐阜の280億円、群馬県足利の166億円、群馬県桐生の163億円と続く。本研究の富士吉田は69億円で、米沢の92億円、伊勢崎の89億円に次ぐ産地となり、ここには表れない。上位の福井や長浜は、伝統産地と言うより殖産興業で栄えた産地である。
    •   
    • グラフ5は金属・非鉄金属産地の比較である。全体的に規模が大きい産地が多い。本研究の高岡は1,022億円で、次いで富山の953億円、新潟の燕が930億円、新潟の三条が798 億円と続いている。高岡は加賀藩の産業振興によって江戸時代から続いている産地であり、工芸品だけでなく、工業製品の産地としても規模が大きいことがわかる。
    •  
    •  
    • グラフ6は陶磁器産地である。多治見の633億円に続いて常滑の485億円、本研究の瀬戸が475億円となる。備前は108億円、伊万里、有田は56億円、唐津は23億円、萩は9億円である。
    •  
    •  
    • グラフ7は漆器産地の比較である。漆器産地では、本研究の山中塗が86億円、輪島塗が60億円、木曽漆器は27 億円、会津塗は22億円である。津軽塗は4 億円など、他の漆器産地はさらに規模は小さい。
    •  
    •  
    •  
    • グラフ8 は和紙産地の比較だが、工業統計では和紙産地にはパルプ、洋紙、機械漉き和紙も含むので、比較はむずかしい。手漉き和紙そのものは、全国の生産額の合計で22億円程度である。パルプ、洋紙、機械漉き和紙を入れると、越前和紙が148億円、土佐和紙(高知)は120億円で、出雲和紙は59億円。美濃は出荷額は109億円で、越前、土佐に次ぐ産地となる。
    •  
    •  
    •  
    • ○産業推移の比較
    • 6産地のこれまでの推移を知るために、製造品出荷額(売上高)、従業員数、企業数を出して比較してみた。これは、1960〜2017年の産業経済省の工業統計調査データ(2019年の調査結果が公表されていないので、2017年が最新の数値)をもとに、製造品出荷額(売上高)、従業員数、企業数を出してる。(ただし山中温泉/漆器については、1960〜2000年代は町村であり、2005年に加賀市に合併したために、工業統計調査から正確な数値を得られていない。そのため、加賀市山中温泉町と山中漆器連合協同組合、北國銀行調査レポートから聞き取り調査を行い、グラフを推移した。
    • (他産地と単純に比較はできないが、考察の参考にしたい)
    •   
    • グラフ9は、製造品出荷額(売上高)の比較である。スタートは高度経済成長期にあたる1960年で、「高岡/金属」は260億円を超え、「瀬戸/陶磁器」は112億円、「山中/漆器」は10億円となっている。物価の違いもあるが、その後のピーク時と比較すると、かなり低い数字である。そこから1980~1990年代のバブル期にむかって上昇し、ピーク時は「高岡/金属」は3400億円という大きな伸びを果たした。「富士吉田/繊維」は132億円である。
    •  
    • バブル期を境に、急激に落ち込む産地と横ばいかわずかな伸びにとどまる産地に分かれていく。直近の2017年では、「高岡/金属」が1080億円であるが、最も低い「山中/漆器」は86億円である。しかし、「旭川/木工」と「美濃/和紙」が売上高を落とすなかで、2010~2017年に売上げを伸ばしていることに注目したい。
    •   
    • グラフ10は企業数、グラフ11は従業員数の変化を示している。ともに、売上高が少ないにも関わらず、企業数も従業員数も多い産地があるのが、特徴的である。特に「瀬戸/陶磁器」は、1960年に売上高112億円だが、企業数663企業、従業員数15,533人と多い。ちなみに「高岡/金属」は、売上高82億円で、企業数125企業、従業員数3,704人である。ここから、「瀬戸/陶磁器」は典型的な労働集約型産地であることがわかる。
    •  
    • また、企業数と従業員数では、1960~70年のいざなぎ景気の時にピークをむかえる産地と、1980年代のバブル期にピークをむかえる産地に分かれることがわかる。「瀬戸/陶磁器」と「高岡/金属」は劇的な減少を見せたが、「美濃/和紙」と「富士吉田/繊維」は、比較的小さなピークで横ばい状態か、ゆるやかに減少している。
    •  
    • 産地規模から見ると、売上高が圧倒的に高い「高岡/金属」は、金属製品の高さによるものだと思われる。「瀬戸/陶磁器」は、企業数、従業員数がかなり高いが、その割に売上高が低いので、単価が低いことが推測できる。「美濃/和紙」と「富士吉田/繊維」は、全てにおいて低い数字になっているため、バブル期の恩恵を受けた痕跡はあまりなく、ゆるやかな減少が続いている。
    •  
    •  
    •  
    • グラフ9 6産地の製造品出荷額(売上高)の推移
    •  
    •  
    • グラフ10 6産地の企業数の推移
    •  
    •  
    • グラフ11 6産地の従業員数の推移