01 旭川(北海道/木工)
 
 
    • 近隣の東川町や東神楽町などを加えた旭川市は、豊かな森林資源に恵まれた木製家具や木工クラフトの産地である。
    • 始まりは、明治時代の屯田兵村建設により家具工業が起こされたこと。明治32(1899) 年には、旭川に旧陸軍第七師団が配置されて、多くの軍人や家族の住む官舎には、豊富な地元の広葉樹で家具がつくられた。本格的な産地形成がなされたのは、大正8(1919)年に産業組合法に基づく旭川家具生産組合が設立してからである。大きく発展するのは第二次世界大戦後で、昭和24(1949)年には、商工省から重要木工集団地の一つに指示され、昭和30(1955)年に旭川木工芸指導所(現・旭川市工芸センター)が開設された。
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    • 昭和38(1957)年には、旭川市によって、家具工業に従事する青年をドイツの家具工業に3 年間派遣する研修が行われた。これは旭川家具のセンスを高めるために、デザインや生産技術などを学ばせようというものだった。産地問屋の力も大きくなった。1980年代まで日本の家具産業の中心は婚礼家具だったが、旭川では一早く市場動向を読みとって、椅子やテーブルなどの脚物家具に転換した工場が多かった。その後、旭川の家具工業は大きく発展する。
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    • ドイツに研修派遣された長原實氏が、昭和43(1968)年にインテリアセンター(現・カンディハウス)を創業して中心的な家具工場となり、昭和54(1979)年に桑原義彦氏が創業した匠工芸からは、多くの家具職人が輩出されている。これらの企業で木工技術を学んだ家具職人やクラフト作家が起業して、旭川では多彩な商品を製造販売するようになったのである。
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    • 1990年、旭川市開基百年事業のひとつとして始まった『国際家具デザインコンペティション旭川(IFDA)』が行われ、世界中の家具デザイナーの登竜門として知られるようになった。
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    • また、2000年頃から、クラフトバイヤーやデザイナーを招いての商品開発や販路開拓が行われ、若手育成に力を入れ始めた。平成21(2009)年には、『旭川木工コミュニティキャンプ』が始まり、平成30(2018)年に10年を迎えた。ここには全国から多くの木工関係者やデザイナーなどが集まり、産地で交流することで、産地とデザインの関係を模索し、旭川木工産地の将来について考え活動している。
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    • グラフ12 は、1960~2017年の旭川市の木材・木製品製造出荷額(売上高)、企業数、従業員数の推移である。売上高のピークは1990年の566億円で、1960年の55億円の10倍になっている。1985年に一度減少しているが、バブル期に入り復活してピークをむかえた。しかし、1990年からはゆるやかに下降し、2010年には125億円まで落ち込む。その後、2017年には166億円に回復している。
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    • 企業数は、1966年の248企業がピークで、バブル期でも横ばい状態だった。2017年には1/4の57企業である。従業員数は、1960~70 年代は約5,700 人だったが、企業数の減少とともに減少、2017年には約1/5の1,150人となっている。
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    • グラフ12
    • 旭川の家具および木製品製造業の推移
    • 出典/経済産業省 工業統計調査(1960〜2017)

 
    • 調査日/201893日〜5
    • 調査担当/萩原 修、大沼勇樹
    • 調査協力者/後藤 哲憲 さん
    • *肩書きなどは調査当時のもの

佐々木 雄二郎 さん
木製品小物製作 / 佐々木工芸 代表


元々は家具の下請け企業だったが、余った材料で木製小物をつくり始め、NCルーターを駆使した量産品を製造している。地元のデザイナーにデザインを依頼して知名度が上がり、売れるようになった。こちらのことがわかっている地元のデザイナーにグラフィックデザインを頼むのは安心感がある。

近藤 俊介  さん
家具デザイナー、ディレクター / siroro design studio 代表


旭川の木工は、産地全体の売上げや規模が縮小しても、少数精鋭になっていくことで、より研ぎ澄まされていく産業だと思う。産地のデザイナーには、企業の聞き役になり、問題や改善点を見つけて、産地や企業が進みたいゴールやビジョンを整理し、サポートするためにデザインをすることが求められている。

畠山 拓 さん
メディアディレクター(映像)/Hatakeyama Taku代表


当初、旭川が家具産地だと言う意識は低かったが、デザインウィークや旭川木工コミュニティキャンプで知るようになった。旭川の木工は、生産力、インフラ、横のつながりは十分あるが、エンドユーザーや社会にどう生かしていくのかは考えられていないように感じる。自社ブランディングに対する意識も未成熟であるように思う。

ゲンマ マコトさん
アートディレクター・グラフィックデザイナー / カギカッコ 代表


地元の東海大学を卒業し、北海道全域を道外に発信する仕事をしようと思い独立した。「旭川木工コミュニティキャンプ」に参加して、グラフィックの仕事を少しずついただくようになった。旭川の木工は、アイテム数は多いが、バラバラに見える。それらをまとめて、わかりやすく見えるしくみが必要だろう。

井上 寛之 さん
木製品小物製作 /工房灯のたね 代表


旭川地域では、最近、行政や地域おこし協力隊などの仕事を兼業する人が増えている。ある程度の収入が見込めるので、いきなり独立して仕事を始めるよりは、ものづくりで生活していく環境をつくる時間的な余裕が生まれるし、リスクも少なくなる。
自分たちはつくることはできても、販売や売込みは苦手なので、産地として、こうした面が強化されるとうれしい。

杉本 啓維 さん
旭川家具工業協同組合 専務理事


30 年にわたって開催されている『国際家具デザインコンペティション旭川』では、4~5 回目から地元で試作するようになって、地元企業の技術向上を図ることができ、企業とデザイナーがつながるきっかけとなった。売る仕組みについては、依然悩みもあるが、これまでの知名度を活かして発展させていきたい。

村田 一樹 さん
ディレクター、グラフィックデザイナー/Back&Forth株式会社 代表


旭川の木工各社は、それぞれのブランド、アイデンティティの確立に悩んでいるようだ。どうしても技術をアピールするようになってしまいがちだが、まず、まちの人にもっと良質な家具を知ってもらいたい。そのためにも、メーカーが積極的に働きかけて、インテリアを楽しめる文化をつくっていけるといいのだが。

後藤 哲憲 さん
旭川工芸センター


『旭川木工コミュニティキャンプ』に10年以上携わってきた。行政は、ものづくり製造業と地域の関わりを促し、デザインが必要な企業を見極めて、デザイナーとつくり手をつなぎ、民間がやりたいことをバックアップするという視点でサポートを行ってきた。

小助川 泰介 さん
家具製造販売・特注家具製作 / アイスプロジェクト 代表


旭川の人が旭川の家具を使う、ローカルに根付く産地になってほしい。東京に向いていた目を地域に向けて、旭川の生活スタイルに合わせたものづくりができるといい。若者が減っていく現状も心配だ。

丹野則雄さん(右)、丹野ユリさん(中右)、
丹野雅景さん(中左)、丹野ヨウコさん(左)
木製品小物製作 / 丹野製作所


旭川の木工は、有名デザイナーというステータスによって成長してきた。そのため、一企業としてのアイデンティティは確立しておらず、バラバラに見える。しかし、私たちのようなクラフト製作は、デザイナーがその知名度で販路開拓したり、売れそうなカタチをつくったりするものではない。料理に例えると「まかない料理」のようなもので、手元にある材を活用して自分たちの生活のなかで使えるものにすること。
常に自己完結を心がけ、自分の世界観をつくることが大切だと、私たちは考えている。

吉村 純一 さん(左)
家具製造販売 / インテリア北匠工房 代表
豊口 雄介 さん(右)
家具製造販売 / インテリア北匠工房 工場長


技術力は、公設試験所に助けてもらっている。昔に比べて多品種に対応しなければならないので、個々の技術や器用さが必要になってきた。旭川の家具屋は、ある程度何でもできる企業が揃い、互いに協力しあえる反面、突出している企業がない。そこから抜け出すのはたいへんだ。販売を問屋に任せると、多くの企業を一緒くたにされるだけなので、それぞれの企業はショールームの充実、オリジナル商品の開発に力を入れている。旭川の人に旭川の木工について、もっと知ってもらいたい。