- 富士吉田市から西桂町、都留市に広がるこの地域は、富士山を南に仰ぎ見て、どこにいても水音が聞こえる水量豊かな土地。平安時代から1000年も続く織物産地である。
- 江戸時代には、「郡内縞」と呼ばれ、明治に入って、上質で美しい色や柄の「甲斐絹(かいき)」が人気を呼び、明治に入っても隆盛を極めた。明治38(1905)年には、織物技術の向上を図るために「山梨県工業試験場(現・山梨県産業技術センター)」が設置され、昭和に入って和装地、洋傘地、服裏地をはじめ品目も増えた。第二次世界大戦の勃発で生産量が激減するまで、国の近代化に伴い、生産量を増やしていったのである。
- 戦後復興の過程で、「ガチャマン景気(ガチャッと一織りすれば、1万円儲かる)」と呼ばれるほどの好景気もあったが、昭和後半には景気が低迷、安い外国産織物も入ってくるようになって、再び産業は低迷した。それでも、長い間培われてきた高い技術によるOEM事業や、首都圏に近いという地の利を活かして、売上げをつないでいった。
- 平成に入りバブル崩壊などで不況に陥り、産地の衰退に危機感を覚えた産地企業の2代目、3代目は、自分たちが誇りを持って仕事をしたいと、オリジナル商品やブランドづくりなど、さまざまな挑戦を始めた。山梨県産業技術センターなど行政の支援もあり、いろいろ画策していくなかで生まれたのが、東京造形大学との産学連携事業「フジヤマテキスタイルプロジェクト」である。平成21(2009)年に始まり、2018年には10年を越えた息の長いコラボレーションで、この活動からさまざまな形の情報発信がなされ、イベント、ツアーなどを充実させ、伝えること、売ることにも力を注いでいる。
- グラフ13は、富士吉田市の衣服・その他の繊維製品製造出荷額(売上高)、企業数、従業員数の推移である。売上高のピークは、1990年の132億円だが、1960〜2017年の間に大きな変化はない。これは、繊維産業のピークが戦前、戦後すぐにあり、以降は構造的な不況に陥り、ゆるやかに衰退していることによると思われる。
- 企業数、従業員数は、1966年にピークをむかえ、売上高ピークの1990年まで急激に減少している。これは、産地の技術集約化によって企業の淘汰と従業員の減少によるものである。また、繊維産業は従業員3人以下の下請企業が多いこともあり、工業統計には表れない企業数、従業員数が多数あることも考えられる。2017年の企業数は42企業で、1966年のピーク時の約1/8、従業員数は約1/4の479人になっている。
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- グラフ13
- 富士吉田市の衣服・その他の繊維製品製造出荷額(売上高)、企業数、従業者数の推移
- 出典/経済産業省 工業統計調査(1960〜2017)
- 調査日/2018年8月2日〜4日
- 2018年10月22日、10月23日、10月30日
- 2019年8月27日
- 調査担当/影山和則、中野照子
- 調査協力者/五十嵐哲也(山梨県産業技術センター 富士技術支援センター繊維部 主任研究員)
- *肩書などは調査当時のもの
五十嵐 哲也 さん
山梨県産業技術センター 富士技術支援センター繊維技術部 主任研究員
1999年から現職にあり、この産地の活動を支援している影のリーダー的存在。技術やデザイン支援にとどまらず、若手などの人材発掘、情報発信や販路開拓のきっかけづくりなど幅広く目を配っている。この産地の歴史から現状、現在の取組みや問題点などを聞いた。
前田 市郎 さん
繊維・繊維製品製造 / 前田源商店 代表取締役
OEM事業で売上げを安定させていたものの、ものづくりとしての不満が残る。そこでオーガニックコットンのオリジナル商品開発を行い、ブランドを立ち上げた。ひと頃の売上げには及ばないが、気持ちは安定している、と語っている。
槇田 洋一 さん
繊維・繊維製品製造、問屋 / 槙田商店 常務取締役
マーケティングなどを学んで、2009年に家業に入社。将来を考えてオリジナルブランドづくりに挑戦した。東京造形大学とのコラボから生まれた洋傘が話題になり、商品化を実現。産地内の連携を大切にして、活動範囲を広げている。
高須賀 活良 さん
デザイナー、ハタオリマチのハタ印 総合ディレクター
「フジヤマテキスタイルプロジェクト」に第一回から参加した東京造形大学生。卒業後2年間は山梨県産業技術センター 富士技術支援センターの臨時職員として働き、産地の情報整理や企業とのつき合いを通して産地の懐の深さを知る。そのことを多くの人に知ってもらいたいと、サイトを立上げイベントを企画して情報を広める活動をしている。
古屋 万恵 さん
山梨県産業労働部 地域産業振興課課長
「織物は山梨県の三大地場産業のひとつ。今や県の支援など必要ないほど取組みアイデアが豊富な産業になっている」と語る。2005年〜2010年には同課職員として、郡内織物の産業復興支援に力を注ぎ、組合や公設試、産地企業とやりあってきた。その後、部署が替わったが、2018年に復帰。行政としてのこれからのことなども語った。
舟久保 勝 さん
繊維・繊維製品製造 / 舟久保織物 代表
伝統的な技術である「ほぐし織」を伝える産地企業。産地の今後に危機感を感じていた12〜3年前、組合の技術部長から「若い人の面倒を見てやってくれ」と言われ、それからずっと、若い人や次世代にどう伝えていくかに心血を注いでいる。「儲かる、儲からない」ではなく、「おもしろい」と言われる産地にしていきたいと言う。
赤松 智志 さん
ふじよしだ定住促進センター
地域おこし協力隊として富士吉田に移住し、商店街にある元美容院を改修した宿泊施設「SARUYA」をつくり、2019年には旧製氷工場を改装して、ギャラリーなどを含む複合施設「FUJIHIMURO」を開設。これらの活動はどのような考えから行っているのか、産地とどのように関わっているのか、などを聞いた。