06 山中温泉(石川県/漆器)
 
 
    • 山中漆器の産地形成は、安土桃山時代の天正81580)年頃に、大聖寺川上流の西谷村真砂に木地師の集団が移住したことに始まる。江戸の元禄年間には、湯治客向けの土産品として燭台、茶台、茶托、玩具など多様な商品が製造された。需要のある温泉場に、木地師や塗師が移住することで、漆器産地が形成されたのである。

       

      江戸中期には、越前、京都、会津、金沢から塗りや蒔絵の技術が導入され、茶道具を始め、生活用雑器を製造する産地となっていった。

      明治に入っても、山中では開国に伴う混乱もなく、技術革新や国内外の市場開拓が行われた。明治181885)年に山中漆器組合が設立し、翌年には蒔絵伝習所が開設された。この時代には、轆轤に関する技術革新が進み、木地の量産体制が確立した。

      昭和初期には、国などの指導によって、ベークライト漆器が導入された。第二次世界大戦の戦中戦後はいろいろな統制はあったものの、農山村地域の温泉場ということもあり、混乱は少なかった。昭和251950)年の朝鮮戦争による好景気は、漆器産地としての復興を後押しした。

      昭和281953)年には、プラスチック素地と化学塗料による量産漆器の製造が開始された。昭和391964)年頃から海外輸出市場が本格的に拡大し、ピーク時には、売上高が20億円に達するまでになった。

      しかし、平成に入ると、台湾や中国の模倣品が出まわり、輸出量は衰えていく。国際分業化の動きもあったが、産地構造を根本的に変えるまでには至らず、輸出重視から国内のギフトや量産市場に転換していく。バブル後の不況では、ギフト市場も縮小。量産体制を確立しただけに、それが仇となり苦境に立たされる。

       

      デザイナーとの関わりは数多い。198090年代には、デザイナーの喜多俊之氏や三原昌平氏によるモダンデザインの導入。平成162004)年に始まったジャパンブランド事業では、ミラノ在住のデザイナー富田一彦氏がデザインした樹脂製の量産漆器で、新しい方向性を探るなど積極的な動きがあった。

       

      石川県には3つの漆器産地があり、それぞれの特徴から「木地の山中」「塗りの輪島」「蒔絵の金沢」と言われている。山中漆器は、轆轤挽物木地の分野では、職人の質、量ともに国内トップクラスであり、温泉地であることから全国から訪れる温泉客からの情報も入る。そのため、伝統的な漆器づくりにとどまらず、合成樹脂の素地にウレタン塗装を施した合成(近代)漆器の生産にいち早く取組むなど、異業種・異分野の技術導入も積極的に行っている。

       

      山中漆器の産地は行政区分上、19602000年代は町であり、2005年に加賀市に合併されている。そのため、工業統計調査から正確な数値は得られなかった。結果として、従業員3人以下の企業も含まれているので、他産地と単純に比較することはできない。

      それを前提としてグラフ17を見ると、産地のピークはバブル期の1988年で、売上高400億円、企業数678企業、従業員数5,000人となる。国内の漆器産地で最大である。しかし、1990年、バブル崩壊後は全てにおいて激減。2017年には、売上高86億円、企業数279企業、従業員数1,300人という厳しさである。早めにピークを迎えて、あとは緩やかに衰退する富士吉田/繊維とは、顕著な違いを見せている。

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    • グラフ17 山中町(現 加賀市)の漆器関連製造業出荷額(売上高)、企業数、従事者数の推移
    • 出典/組合報告書等

 
    • 調査日/20181025日〜27
    • 調査担当/古庄 良匡、影山 和則
    • 調査協力者/我戸正幸(我戸幹男商店 代表 / 漆器製造販売、問屋)
    • *肩書きは調査当時のもの

呉籐 安宏 さん
山中漆器産業技術センター 専門員


産業振興支援になって20年近くになる。10年前までは、外部デザイナーを招聘し指導してもらっていたが、現在は特に行っていない。インキュベーションセンターをつくり、卒業生が制作活動できる環境を整えた。研修生の希望は、定員をオーバーするほど増えている。

畑 学 さん
漆器製造販売 / 畑漆器店 代表


大学卒業後、デパート問屋に7年勤め、30歳前に帰郷し家業を継いで、商品開発を行っている。手探りでトライし、デザインユニットMUTEとの取組みが主力商品になった。MUTEにはトータルでディレクションを頼んでいる。展示会に出展し続けるのは限界があり、地元を盛り上げていく方法などを探っている。

石橋 雅之 さん
漆器・樹脂製品の製造販売 / アイプラス 代表


漆器業からプラスチック製品の販売など事業を拡大してきた。売上げは伸びたが、バブル崩壊以降は減少の一途を辿る。デザイナーの富田一彦さんと出会い、『NUSSHA』を展開し話題になった。富田さんがディレクションや商談のきっかけをつくってくれたからだが、今ではそれも小さな動きになっている。

酢谷 喜輝 さん
漆器製造販売 / 喜八工房(酢谷)代表


25歳で家業を継いだ。もはや百貨店の時代ではないと思い、デザイナーズウィークに出るなど、デザイナーとともに動いてきた。10年たった現在では、原点回帰し伝統的でオーソドックスなものをつくり、直販もしている。今後は、若い人がきちんと食べられる仕事がある状態にしなければ、と考えている。

谷口 照知 さん(右)、谷口 龍人 さん(中)、谷口 天平 さん(左)
木地挽き / たにてる工芸


設立は46年前だが、20年前から3人体制で仕事をしている。産地の将来に限界を感じ、自分たちでつくり販売するようにしたが、断念。デザイナーと一緒につくる方法を模索し、MokuNejiというブランドを立上げて、県外の仕事を増やしている。昔のやり方では製造は続けられない。NCルーターなどを取り入れた新しいやり方を考えている。

我戸 正幸 さん
木地挽き、問屋 / 我戸幹男商店 代表


明治41年創業、現在の会社は昭和61年設立。木地工房からスタートしたが、現在は問屋である。デザイナーと組む方法を試行錯誤し、今の独自な方法を確立。ディレクションは自分で行い、デザイナーには形状のデザインを頼むというもので、現在は12人のデザイナーと組んで製品をつくっている。今後は地元に店をつくり、産地のプロモーションや集客イベントを行っていきたい。

大下 香征 さん
蒔絵・ジュエリー製造 / 漆芸大下香仙工房 専務


茶道具の販売を行っていたが、時代に合わせてどのように売ったらいいのか模索してきた。近年は装身具を、工房にいる5人のスタッフと情報共有しながらチームでつくっている。ディレクションは自分で行い、販売は現地スタッフに頼むなど、これらの連携が大事だ。生産力と売上げのちょうどいいバランスがある。さらに伝え方を新しくしようと考えている。